矢代秋雄
矢代秋雄は1929年9月10日東京・大森生まれ、日本を代表する作曲家の一人。 若い頃より英才として将来を期待され、東京藝術大学研究科を卒業した後、パリ国立高等音楽院に留学しトニー・オーバン、オリビエ・メシアンに学び、首席で卒業。1956年帰国後発表した「弦楽四重奏曲」で、毎日音楽賞を受賞した。その後、「交響曲」「2本のフルートとピアノのためのソナタ 」「チェロ協奏曲」「ピアノソナタ」「ピアノ協奏曲」や、「札幌オリンピックのための『式典序曲』『白銀の祭典』」等を発表し好評絶賛をあびる。そして1974年東京藝術大学作曲科教授に就任した。1975年、三重で行われた第30回みえ国体のために「みえ国体のための式典組曲」が作曲され、今も県内の中学高校の式典や大学の演奏会で演奏され続けている。同年秋、「三重県立名張桔梗丘高校校歌(現名張青峰高校校歌)」を作曲、翌76年4月9日、心不全で急逝。46年7ヶ月の短い間に多くの名作を残し、その作品は現在も多くの人に愛され、演奏されている。
「みえ国体のための式典組曲」について
1.式典序曲
2.讃歌「この日までの」 遠藤周作 作詞
3.ファンファーレ
4.式典終曲
この組曲は、式典を音楽の流れで進行したいという三重県実行委員会の意向を受けて作曲された。1972年札幌オリンピック冬季大会の祝典序曲≪白銀の祭典≫で成功をおさめた矢代秋雄は、祝典序曲に見られる「遠方に置かれるファンファーレ」の効果を、本作品第1曲<式典序曲>にも用いて、トランペットとトロンボーンの2つのファンファーレ隊を遠方に配置するよう指示している。第2曲<讃歌>は、短いファンファーレに先導され、冒頭、1,2,3番を通して“今 手をたたこう 君のために”と歌い出す。この歌詞は、詩をほとんど書かなかった遠藤周作氏が作曲者矢代の依頼により書いたもので、「この日までの」と題されている。遠藤周作による歌曲は他にない。第3曲は、いわゆる祭典のファンファーレで、ティンパニーとシンバルが入る。そしてこのテーマが終曲のコーダにおいて印象的に再現される。短い序奏に先導される第4曲<式典終曲>では、フランスで培った見事な和声進行と管弦楽法が紡ぎ出す美しいコラールが素晴らしく、さらに第1~3曲に見られるファンファーレ効果と各曲のモチーフが呼応し合い、一つの組曲としてまとまっていく見事な作風が大変魅力的である。
本作品の楽譜は、三重県下の関係団体への特別配布品で、みえ国体終了後も三重県下の学校では、校内の
諸行事、たとえば入学式や体育祭、卒業式などに今も演奏され親しまれており、一般の出版が待たれていたがこの度、販売が開始される事となった。